パピコのブログ

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若林正恭「社会人大学人見知り学部 卒業見込」

若林正恭「社会人大学人見知り学部 卒業見込」を読みました。最近、オードリーのオールナイトニッポンを聞くようになったことと熱愛報道をきっかけに若林さんのことを少し知りたくなったので読みました。

 

 

あらすじ

人見知りであるオードリーの若林さんが社会に感じる疑問や考え方を綴ったエッセイです。

 若手芸人の下積み期間と呼ばれる長い長いモラトリアムを過ごしたぼくは、随分世間離れした人間になっていた―。スタバで「グランデ」と頼めない自意識、飲み屋で先輩に「さっきから手酌なんだけど!!」と怒られても納得できない社会との違和。遠回りをしながらも内面を見つめ変化に向き合い自分らしい道を模索する。 -amazon より-

日常生活でのボケとツッコミ

日常生活で物事を批評し揶揄することをツッコミ、それを受けることをボケとするなら、おそらくツッコミでいるのが心地よいでしょう。

若林さんは、人見知りで日常生活のツッコミ役を長い間担当してきました。ツッコミでいることが心地よいからです。一方で、そんな若林さんは、こんなことを考えました。

大学の学祭に参加せず、バーベキューに行かず、誕生日会を開かれるのを拒む。全部、突っ込まれたくないからではないのか? 出る杭を拒み続けて、ツッコミ続けた挙げ句、死の直前に何も楽しんでいなかったなんてことに気付く大ボケ、全然笑えない。 -p.200-

突っ込まれることを恐れて何もしないでいると死ぬとき、後悔するのではないか。ボケて突っ込まれるような人生の方が楽しいのではないか。

自分もツッコミ側の人間です。無駄に騒いだりはしゃいだりしている同年代を遠巻きに眺め批評しているような人間です。でも、最近はそうもいかなくなって来ました。というのも、勉強会や研究会で人の前で発表をする機会が増えたからです。今までは、人の前で発表するのは、苦手だからと逃げてきました。一方で、人前で自信を持って発表をできる人が同年代にたくさんいることに今になって気づきました。彼らは、自分が散々ツッコミ続けできた人でした。そんな彼らは、突っ込まれることを臆さない人たちです。それは、人の性格も大きな要因であるとは思うが、自分は、それだけではないと思うのです。ただやってこなかっただけなのです。突っ込まれることにビビり何もしてこなかった人間と勇気を持って行動してきた人間では、差ができて当然です。

そんな感じで人生をツッコミ側で過ごしてきた同年代は、おそらくたくさんいると思うのです。大学や新社会人というのは、そんな自分を変える最後のチャンスのような気がするのです。だから、少し勇気を出して行動をしてみたい。突っ込まれてもいいからボケてみたいと思うのです。

社会に参加すること

若林さんは、2008年のM1以降での身の回りの変化で、社会に参加することについてある答えを見つけます。社会に参加することは、そこまで難しいことではなかったということです。今まで若林さんは、結果を求められるのが社会だと考えてきました。でも、M1グランプリの総合2位という結果を残しても、それ自体に本当の価値がなかったのです。それは、ただのきっかけで、社会で必要とされる自分の自己ベストを更新し続けることだったのです。

これからも、結果は出たり出なかったりするだろう。だけど、自分にできることは常に過程を紡ぐことだけだ。そう。社会なんて自己ベストを更新していくだけでいいという自信さえあれば自由に参加していい場所だったんだ。 -p.219-

自分も結果が出せない歯がゆい思いを最近しているですが、案外結果というのは、重要ではなく、その取り組みまでの過程が重要なのだろう。過程というのも日々の自己ベストの積み重ねで気張る必要なんて全くなかったのです。

まとめ

なんとなく若林さんのことを知りたくて読み始めたのですが、共感できることが多く、勇気をもらえました。大きな目標よりも日々の積み重ね、自己ベストを更新を目指した今日も頑張ろう。